2010年8月12日木曜日

8月1日の棟上の日の動画を

台風の観察

昨夜は台風の観察を兼ねた、泊まりを床でしました。

三時過ぎより降り出した、台風が雷を伴い

五時から六時にかけて京都を通過。

明け方の雨の中、十字部の中心で座りながらら雷を見ていると

目をつぶっていても道筋がみえて満足でした。

音と雷の時間差が数十秒あったため、比較的安心して眠りました。

昼頃おきて帰路に着きました。

2010年8月10日火曜日

建築物の名前 つづき

名前、なんと呼ぶか。

このことは、今回何を作ってるのかを聞かれるたびに、なんて応えたものか

いまいちパキっと応えられなかったことと同じ難しさの問いです。

足がかりにするイメージはある。けれど、それが何か分からない。簡単にイメージを伝えられない。

用途を答えることが出来れば、なんで出来たかの説明になるので、それについて書きます。

みかん祭りのために出来た、と言えばみかん祭りとは何なのかという話に移ってしまうので、

祭りのために出来た、と言ってみます。(※1)

京都には沢山のお祭りがあります。伝統的なものから、その場限りのものまで。

お祭りが出来る場所には条件があって、人が集まれる必要があります。

ここで、誰が集まれるかということが重要です。

主旨、主催者、その場の雰囲気などに制限され、お祭りは輪郭が出来上がります。

この輪郭に弾かれて入れないことも間々ある。

話を私の京都生活に絞ってみます。

伝統的なお祭りではない、人の集いのある場所って例えば

吉田寮は、、、西部講堂は、、、熊野寮は、、、といった場所のイメージと密接に繋がっている。

伝統のお祭りも、町内会や宗派にきっと繋がっている。

このイメージは、過去にそこであった記憶の産物で、沈殿物で、醸造物であるから、

そこで新しいものが出来て、皆にとって知らないものが出来ることが、密接に繋がってしまった

イメージの風通しを良くするのではないかなと期待しています。

リセットされた場所が京都で欲しい。

その代謝に関わりたい、というのはこの企画に参加した動機の一つです。

最初の一転がり目で、何が起こるかなと思って、こけら落としを今月末にやりたい。

(※1)
この「祭り」で言いたい事は、

同所で同時に起きた事を、携わった人が記憶することで

時間に区切りがつくような経験です。

だから何を区切りたいのかが重要になってきます。