2010年7月16日金曜日

今作っているものに辿り着くための覚書

偶然オランダから京都に留学していた友達が帰国し、

何らかの雑誌の編集に加わり、くじらアパートの取材をしてくれていて、

その質問に答えたものが、今作っているものとの繋がりを明らかにしたところもあるので

載せてみます。



おはよう!連絡ありがとう。

くじらアパートの話を聴いてくれる人に久しぶりに会えて嬉しいです。

くじらアパートは私が建築家として生涯を送りたいと思った気持ちを

形に表そうとしたものなので、記録してもらえることは嬉しいです。

特に尊敬する建築家レム・コールハースを生んだオランダだしね!

では質問に答えます。

1. Gohei san ha Bible no kujira no naka ni ryoko shita Jonah-sangozonji desu ka?

 物語の話ですね。大事な質問だと思います。 最初に知っていた話は、幼稚園にいた頃に絵本で読んだ、ピノキオが鯨に呑み込まれる話です。

鯨に呑み込まれ、そこで三日三晩を過ごすという体験に強く惹かれました。

それがMatthew 12:40( http://bible.cc/matthew/12-40.htm)の話を受けたものだと知ったのは、

くじらアパートの名前をつけてからでした。

子供の頃に好きだった漫画ドラゴンボール(鳥山明)では、

鯨に呑み込まれた悟空と亀仙人が、ピノキオとジュゼッペ爺さんさながら旅をします。

この漫画の中では、多くの生と死の境界(胎内回帰)を越える経験装置が出てきます。

惑星べジータからサイヤ人が地球に向けて乗ってくる球形の個人単位の宇宙船。

傷ついた悟空が回復するために入る全身が浸かる体力回復装置。

悟空が修行のために登る、一日が一年になる精神と時の部屋。それに通じるカリン塔。

こうした経験は修験道に通じるものであり、聖書の物語と極東アジアの再生される物語の重なるところであり面白いと思ってます。

こうしたテーマを建築の第一歩に選んだことには子供の時の経験が関係しているのでしょう。

リアナさんのBible no kujira no naka ni ryoko shita Jonah-sanの話を是非教えてください。

英語でも日本語でもどちらでも有難いです。


2. Gohei-san no sakuhin ha kikagakuteki da to omou. kyutai no kujiraapaato ya kakusui no torii.sono riyuu ha nani desu ka?

 幾何は仮定された空間を把握する基本です。

 イメージを納める形状を考える際、どうしても幾何に頼る傾向があるのは確かです。

 これは、くじらアパートにしても鳥居にしても、私が設計と施工を全て行っていることと関係してるかもしれません。

 しかし、出来上がったモノには周辺へ自ら沁み出す能力があります。人に対しては、そのモノが人を引きつける魅力のようなものです。その境界(膜)として私が作ったモノはあります。

それを考えると球体を連想し、ダイレクトに作ったのが、くじらアパート(実の球)。

それから発展したものが、球を内接する角錘台形の、鳥居(虚の球)です。

 ここの立体のイメージをうまく伝えたいのですが、例えば以下はケプラーの惑星の軌道モデルです。
 
(”球体 内接”で検索した結果を引用http://d.hatena.ne.jp/hourou-33/20071209/1198054935

 ここにおいても、幾何並びに球は、物事を捉えるための過程として用いられています。

私は来た話に乗っている状況で、明確に何を捉えようとしているかわかりません。

反応していくことが大事だと思うので、何かあればこの度のように声をかけてください。


3. kujira apaato no ryoko no imi ha nani deshita ka?
 
 意味は計画の前と後では変わります。
 
 旅行の前では未知の世界への冒険でした。
身一つ、作ったもの一つで触れ合う人と話をして考えてみようという試みです。
今までの人間関係から隔離された状況で建築を通して対話をする。
メディアとしての身体・建築を考えていたのですが、実際には考える時間は足りませんでした。
今でも新しい発見が回想の中にあります。
 
 旅によって前と後ろの時期が分かれることが重要なのだと今は、思います。


4. Tokaido ha Gohei-san ni tokubetsu-na imi ga arimasu ka?

 東海道は私の生まれ故郷、育った町、通った学校、そして今の研究生活を送っている京都、全てが含まれる道です。そのバラバラな場所を歩いて繋げるということは素直な考えでした。

 また、東海道五十三次は「日本」の歴史、文化を考えても流通の要として機能してきました。そこを徒歩により見ることは自動車社会の現状を直視することに他なりませんでした。交通の激しいところでは、車を避けるため朝の4時から歩いてました。開発の進んだ地域では、木陰が寺社仏閣の周囲にしかないことも実感しました。
これらを第二次大戦後近代化の進む日本で守ろうとした南方熊楠は、やはり重要な人物だと思いました。
ながながと書いてしまいました。また連絡ください。協力したいです。
では!

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