名前、なんと呼ぶか。
このことは、今回何を作ってるのかを聞かれるたびに、なんて応えたものか
いまいちパキっと応えられなかったことと同じ難しさの問いです。
足がかりにするイメージはある。けれど、それが何か分からない。簡単にイメージを伝えられない。
用途を答えることが出来れば、なんで出来たかの説明になるので、それについて書きます。
みかん祭りのために出来た、と言えばみかん祭りとは何なのかという話に移ってしまうので、
祭りのために出来た、と言ってみます。(※1)
京都には沢山のお祭りがあります。伝統的なものから、その場限りのものまで。
お祭りが出来る場所には条件があって、人が集まれる必要があります。
ここで、誰が集まれるかということが重要です。
主旨、主催者、その場の雰囲気などに制限され、お祭りは輪郭が出来上がります。
この輪郭に弾かれて入れないことも間々ある。
話を私の京都生活に絞ってみます。
伝統的なお祭りではない、人の集いのある場所って例えば
吉田寮は、、、西部講堂は、、、熊野寮は、、、といった場所のイメージと密接に繋がっている。
伝統のお祭りも、町内会や宗派にきっと繋がっている。
このイメージは、過去にそこであった記憶の産物で、沈殿物で、醸造物であるから、
そこで新しいものが出来て、皆にとって知らないものが出来ることが、密接に繋がってしまった
イメージの風通しを良くするのではないかなと期待しています。
リセットされた場所が京都で欲しい。
その代謝に関わりたい、というのはこの企画に参加した動機の一つです。
最初の一転がり目で、何が起こるかなと思って、こけら落としを今月末にやりたい。
(※1)
この「祭り」で言いたい事は、
同所で同時に起きた事を、携わった人が記憶することで
時間に区切りがつくような経験です。
だから何を区切りたいのかが重要になってきます。
0 件のコメント:
コメントを投稿